内閣総理大臣・菅義偉殿

 

 

 

政権による日本学術会議への不当な政治介入に抗議し、

6名の会員候補に対する任命拒否撤回を求める

 

 

 

2020108日 安保法制に反対する関西圏大学有志の会

 

 

 

菅総理は、日本学術会議が推薦した会員候補105名のうち6名を選別してその任命を拒否した。これは日本学術会議法が定めている学問の自由と自主性の保障を総理自らが踏みにじり、政治権力による学問・研究への介入を深めるものである。私たちはこの危険な振る舞いに強く抗議し、任命拒否の撤回を求める。

 

日本学術会議は「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」ことを使命として(日本学術会議法前文)、1949年に創設された組織である。この使命の達成に向け、同会議は「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」「科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」を「独立して」(同第3条)行うものとされ、その独立性を担保するものとして、同会議の会員は「優れた研究又は業績がある科学者」(同第17条)を、学術会議自身の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」(同第7条)とされた。もちろん同法には「会員として不適当な行為がある」場合に限って「日本学術会議の申出に基づ」く退職規定(同第26条)がおかれているところからみて、総理から例外的に推薦の再考を理由を付して差し戻すことはあっても、今回みられたような暴挙を肯定する会員選別の権限等に関する文言は含まれていない。

 

今回の任命拒否の理由を問われた菅総理は「法に基づいて適切に対応した結果だ」(10月2日)と答え、加藤官房長官も「首相の所轄で、人事等を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能」と述べている(1日)。だが、何より歴代政府自身がそうした介入の行為を明確に否定する立場を表明してきた。たとえば同会議の発会式(1949年1月21日)に寄せた祝辞の中で、吉田茂首相(当時)は「日本学術会議はもちろん国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための掣肘を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておる」と述べた。ここにいう「掣肘」とは、外部からの介入などを通じて自由な行動を妨げるという意味である。吉田首相はそのようなことがあってはならないことを強調していたのである。

 

また会員の選出方法をかつての公選制から現在の推薦制に変えた1983年の同法改正時の国会答弁で、丹羽兵助総理府総務長官(当時)は、政府の干渉を排する立場から「ただ形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」と述べていた。

 

したがって、今回の任命拒否は「法に基づいて適切に対応した結果」であるどころか、完全に違法である。仮に、菅政権が歴代政府による法解釈を今回変更したというのであれば、変更した正当な理由を日本学術会議および全ての市民に向けて説明する責任がある。時の政府によって法の解釈が自在に変えられるとなれば、そもそも法を定めることの意味がなくなってしまうからである。道理ある説明ができないのであれば、総理は今回の誤りを正すべきである。

 

なお、今回なぜこの6名が拒否されたのかについて、政府はその理由を明らかにしていない。しかし、すでに多くの指摘があるように、6名には、政府が世論に反して強行した「共謀罪」や「安保法制」などに積極的に反対してきた経歴がある。日本学術会議元会長の広渡清吾氏は「問題は人文社会系の学者に限定して任命を拒否したこと。現代社会を批判的に分析しないとなりたたない学問が狙い撃ちされている。威嚇すれば怖がるだろうという、萎縮効果を考えているとしか思えない」と述べているが、私たちも同じ懸念を強くもっている。平和と民主主義をめぐるこの国の進路を考える上でも、これは決して許すことのできない暴挙である。

 

以上、断固として政権による日本学術会議への不当な政治介入に抗議し、6名の会員候補に対する任命拒否撤回を求める。