ブレイディみかこ著、2017年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』、みすず書房。

 一般に子どもは大人のように忖度をしない。思ったことを口にし、したいように振る舞う。そうした行動様式は子どもの育った環境によって形作られるので、子どもの言動を通してその子が属する家庭や地域社会が見えてくる。この本は、保育士として著者が活動している無料託児所(底辺託児所、緊縮託児所とも著者は言う)での体験から語られる、現代英国の姿である。私たちの多くが思い浮かべる英国とその姿は大きくかけ離れているが、紛れもなく21世紀初頭の英国、ブロークン・ブリテンだ。
 著者によると、ブロークン・ブリテンの種は1980年代のサッチャー政権時代に撒かれ、1990年代のブレアー政権(労働党!)で育ち、2010年の保守党による政権奪還で大きく枝葉を茂らせた。その過程を通じて、職を持たずに生活保護で暮らすアンダークラス(労働者階級のさらに下)という階層が生まれ、他の階級との間に分断(ソーシャル・アパルトヘイト)が生じた。
 何がブロークンなのか。保守党の選挙キャンペーンで用いられたというこの言葉から我々が直ちに連想するのは、社会や経済がガタガタになった英国の姿だろう。しかし、底辺託児所で保育士をしている著者の目に映るのは、それよりももっと具体的な、人と人とのつながりの分断、コミュニティの崩壊だ。何が崩壊をもたらしたのかといえば、緊縮財政政策なのだ。
 ブロークン・ブリテンの実相は、統計に表れる貧富の格差や経済指標をみているだけではおそらく理解できない。貧困が人々の日々の生活にどのような影響を及ぼし、地域社会がどのように壊れていくのか、その実例と日々向き合う著者はその様子を本書で伝えている。
印象に残った例を紹介しよう。
 コスチューム遊びで軍服を着た女児を見て、そんな服を着てはいけないと仲間の保育士が脱がせようとするが、女児は頑なに拒否する。なぜか。その子の姉のボーイフレンドが最近軍隊に入り、安定した仕事に就いたのだ。非正規雇用や失業者が当たり前の環境に暮らす姉妹にとって、そのボーイフレンドは希望の拠り所であり、誇りなのだと著者は語る。日本でも少し前によく耳にしながら、私自身がリアリティを感じられなかった経済的徴兵制とは、つまりこういうことかと納得した。収入がなくてやむを得ず軍に就職する事情は理解しよう。恐ろしいと私が思うのは、軍が単なる就職口として自然に若者の選択肢の一つとなっていくことだ。
 補助金を減らされてサービスの低下を余儀なくされ、子どもの数も少なくなった底辺託児所は、ついにフードバンクへと変わってしまった。著者も例に引いている、ケン・ローチの映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」のシーンさながらに、棚の食料をみて我を忘れて叫び出した人、ジャガイモを握りしめて泣き出した人を著者は実際に目にしている。人間の尊厳がこうして崩されていく。
 ケン・ローチの映画とともに、この本を読んで私が思い浮かべたのは1996年のイギリス映画「ブラス!」だった。実話に基づくこの映画の舞台は1990年代初めのヨークシャー。長い歴史を誇る炭鉱労働者のブラスバンドが、全英コンクールの決勝進出を決めた時、同時に炭鉱の閉山が決定されるというストーリーだ。閉山をめぐる炭鉱夫どうしの対立や家庭での諍いを乗り越え、バンドは決勝に出場して見事に優勝する。その表彰式でバンドリーダーは観客に向かって怒りをぶちまける。「発展という名のまやかしのもとに、政府によって石炭産業が破壊されただけでなく、私たちの地域社会や家庭や人生が破壊された。みなさんはアザラシやクジラのためには立ち上がるのに、・・・」と。ブロークン・ブリテンは1990年代にすでに顕在化していたのだ。合理化は失業を生み、緊縮によって貧困は増大する。地域社会と家庭の破壊に続くのは、人間の尊厳の喪失だ。
 地べたで生きる人々の様子を伝えながら、しかし著者は決して悲観的ではない。その語り口にはある覚悟とともに、不思議な明るさが感じられる。社会の分断を克服するための近道はなく、小さなコミュニティの単位で一つ一つ修復していくほかないと著者はいう。そして笑うこと。笑っている限り、私たちは負けてはいないのだと。


伊地知紀子・新ケ江章友編、2017年、『本当は怖い自民党改憲草案』、法律文化社。

 反安関西に参加しているメンバーを中心にして2017年7月、伊地知紀子・新ケ江章友編『本当は怖い自民党改憲草案』法律文化社が刊行されています。目次は、次のようになっています。

  • はしがき  伊地知紀子(大阪市立大学)
  • 第1章 ナショナリズム-国民と国家はどうなるのか 山室信一(京都大学)
  • 第2章 戦争―どこが戦場になるのか 藤原辰史(京都大学)
  • 第3章 表現・思想・信仰-人間の「精神的自由」とは何か 中村一成(フリージャーナリスト)
  • 第4章 教育-幸福追求権としての教育はどうなるのか 西垣順子(大阪市立大学)
  • 第5章 家族-誰かとつながりたい個人はどこへ向かうのか  弘川欣絵(弁護士)
  • 第6章 貧困-社会はどのように分断されていくのか 西澤晃彦(神戸大学)
  • 第7章 国政-独裁政治になってもいいのか  石川康宏(神戸女学院大学)
  • おわりに  新ヶ江章友(大阪市立大学)

 各章ごとにオピニオンないしはコラムが付されています。執筆者とテーマは順に、内田樹「自民党改憲案の『歴史的意義』について」、石崎学「改憲」、武村二三夫「権利と義務」、岩佐卓也「労働」、香山リカ「カヤマさん、“意見の人”となる」、金尚均「刑事手続」、大野至・塩田潤「社会運動」です。

 出版社のサイトでは、「もしも、憲法が改正されたらどのような社会になるのか!? 改憲が現実味をおびはじめるなか、自民党がどのような国を築こうとしているのかという未来予想図を描く。私たちの生活の変化を念頭に7つのテーマ、5つの論点、2つの全体像にわけてシミュレーションする」と紹介されています。